1) 企業のトップを目指す

私はアクセンチュアで代表取締役のポジションまで上り詰めました。そうしたポジションを得るためにはどうしてなることが出来たのかの体験談を講義します。入社してから32年後に退職するまでの経験談と教訓の話をします。英語で講義することも出来ます。新入社員教育にも対応します。既成概念にとらわれずチャレンジ精神を持ち続ける人材として必須です。

スウィングバイでは海野の自伝である「和英対訳による アクセンチュアでのライフ 上巻・下巻」をリーダーシップの教科書にしています。

2018年9月電子書駅出版

アクセンチュアを退職して13年になりますが、32年勤め、どのようにしてトップまで上りつめることができたのかを書いています。何度も失敗しながら、なぜ32年間も厳しいアメリカの企業に生き残れたのかは今から振り返っても、言葉に言い尽くせないものがあります。定年まで過ごせたことは色々な方々に助けてもらったからです。仕事ができても、この企業に勤めることはできません。

一番気をつけたことは過去のことはいい思い出になってしまうので、できるだけ、客観的に事実を書いたつもりです。自慢話にならないように、気をつけましたが、それっぽいところもあります。誇張もしないように気を配ったつもりです。本当に全部こういったことをやったのかと疑いたくなる内容がありますが、やってしまったのは事実です。本当の話は魑魅魍魎なのかもしれません。

仕事以外に、青年会議所とか女性問題とか競技スキーとかをやっていたので、仕事は厳しかったのですが、結構余計なことをたくさんしてきました。あれほど厳しい会社でしたが、色々、仕事以外で好きなことをしていました。確かに、何年も布団の中で、寝なかった時もありましたが、それは仕事に長時間制約されていたのではなく、仕事が好きだったからでした。

内容は以下の通り

仕事が趣味でなければ務まらない
職種はコンサルタントではなく戦争屋だった
仕事では何度も失敗した
30代で経営者になった
超人プログラマーだった
世界で初めてのカンバン・システムを作った
エンジニアから経営者へ変身した
素材産業の責任者から代表取締役になった
パートナーに対する待遇はすごかった
インラインスケートで移動していたのだ
国際青年会議所では英語で議長をした
三回の離婚では苦心惨憺した
なんと英語で毎週二時間の講義をしている