2021年5月
UNN202100501 大学
孔子の弟子曾参(Zengzi 505BC – 434BC)の作とされた。二宮金次郎が薪を背負って読んでいるのがこの「大学」である。この「大学」という言葉の由来は「大人(たいじん)
朱子学では、「物に格(いた)りてのちに、知、致(いた)る」と読(訓)みます。一方の陽明学では、「物を格(ただ)してのちに、知を致す(
朱子学と容易ではないが陽明学との違いもあるのだが、西田幾多郎が言った純粋経験も物事の本質を把握しようとした。彼の書いた世界秩序の原理は正しくこうした考
古代の明徳を天下に対して明らかにしたいという者は、まずその国をよく治める。その国をよく治めたいという者は、まず自分の家族を整える 。その家を秩序ある形で整えたい
修身・斉家・治国・平天下と西田幾多郎の新世界秩序の原理は物事の本質的な要素を見極めようとしたことは共通している。感情的なHeartと理性のMindの組み合わせが極めて大事だ。
新世界秩序の原理で西田幾多郎が言っているのはそれぞれの国家が自らの文化とか慣習をそのまま大事にしながらお互いの国家との付き合いを行うと言ったことは正しく
その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉う(ととのう)。その家を斉えんと欲する者は、先ずその身を修む。その身を修めんと欲する者は、先ずその心を正しくす。その
彼ははじめに習近平はヒットラーのようなファシストだと言っている。儒学はつまるところ、権力に対しての服従と尊敬がいわゆる儒学で言うところの徳であると言ってい
バイデンの対中国への対応の仕方は彼らへの批判と一方で、気象変動の協力を行うという剛柔の2面作戦のようだ。
中国が危険な国だということは誰もが疑わないのだが、それをどう封じ込めるのかを我々は考えなければならない。そのヒントとして、西田幾多郎の純粋
日本には八紘一宇の考えがあって私ではなく我々はという集団の協力によって世界を良くしようという考えがあって、そうした考えを持っているのは世界でも日本だけだ。
修身斉家の考えは相手の立場をきちんと理解することなのだ。自分の考えを相手に伝えるではなく。相手の気持をあなたが理解することが修身の基本的なスタンスだ。
欧米人は中国人が絶対的な道徳基準を持っておらず、彼らの道徳の真理はなんとなく相対的で、安定していないという。それは西洋と中国の慣習的なしきたりが異なるから
ラルフ・ワルド・エマーソン(1803~1882)米国の思想家、哲学者、宗教家、作家、詩人。14歳のときにハーバード大学に入学。18歳で大学を卒業し、兄が経営する女学校で
「もしまったく自分の内から生きるなら、伝統の神聖さなど何の役に立とうか。」と私が言うと、私の友人は言った。「けれどこのような衝動は下から来るもので上からのも
UNN202100515 大学
今の日本は日本人のアイデンティティがないので、どのようなことでも魂が入っていない。それが今の日本の低迷の原因だ。
地域のイノベーションを進めるにあたって 最大の阻害要因は地域とのコミュニケーションだ。彼らはもともと保守的だから何でも変えようとはしない。
バイデンが菅さんに30分しか時間をtらなかったと批判する人がいるが、そうではない。彼は用意周到に準備して、日本と協議するのではなく、命令をしただけだ。
日本が中国に対抗できるパワーは情報技術と八紘一宇の精神だ。後の2つは日本独特のパワーで、日本にしか出来ない。
古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉う(ととのう)。その家を斉えんと欲する者は、先ずその身
古代の明徳を天下に対して明らかにしたいという者は、まずその国をよく治める。その国をよく治めたいという者は、まず自分の家族を整える (make their family harmonious)。その家を
西洋と東洋は東洋が神のことに関して不可知論者であることがその違いであり、西洋は神が存在するが、東洋では神は存在しない。人の中に判断の基準が存在する
徳を道徳と解釈していない。人間の力であり、影響力だと言っている。それは何かということをまず自分自身の身・道徳を修める 。その身を修めたいという者は、まず自分の
そうするためには物事を観察する(the observation of things)ということだが、世界とあなたの心に何が起こっているのかを文字通り観察することである。あなたの心の徳に照らして
heart:感情の中心としての心 喜怒哀楽などの強い感情を抱く場所としての「心」。身振りで表すときはしばしば心臓の位置を刺す。mind:思考・認識・判断などの働
朱子学の「物に至りてのちに、知、致る」 一つ一つ物事(事物)の理を窮(きわ)めていけば、やがて物事の道理を体得できる、ということだ。陽明学では「物を格(ただ
「もしまったく自分の内から生きるなら、伝統の神聖さなど何の役に立とうか。」と私が言うと、私の友人は言った。「けれどこのような衝動は下から来るもので上
要するに我々の本性が正しいと認める以外に選択肢はない。我々は正邪の判断はあなた自身の本性にあって、それに基づいて判断するということであって、法律でもなけれ
UNN202100522 大学
本書が、中国の四書五経の「大学」に書いてある修身斉家治国平天下の「斉家(せいか)」に焦点を当てて書いている。妻をどう理解するかを通じて、企業、社会
身を修めるためには家を斉(ととの)うべきであるという考えをもとに書いている。この家を斉(ととの)うためには本来は妻だけではなく、両親、兄弟姉妹が入るのだが、
「悪女は情緒的、感情的で、わがままで、自己中心、欲張り、嫉妬深い。さらに嘘もつく」とか「悪女は多様な価値観を持っている。言い方を変えれば無茶苦茶な価
「男は女性の話をきちんと聞き、意見が違っても反論せずに、我慢し、心を広く持って、相手の考えを受け入れる」ということに尽きる。こうした考えが斉家(せいか)であり、
つまらないことで妻と気まずくなることはよくある話だ。そうした時に笑顔で家を出ることは誰にもできることではない。目すら合わしたくない時もあるだろう。そ
「心焉(ここ)にあらざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず。これを身を脩(おさ)むるはその心を正しくするに在りと謂う」
妻に対してつまらないことで、八つ当たりしてはいけない。微笑みながら、感情を抑えてものを言わなければならない。一番身近な妻に対して、そう言った木鶏の心で対応す
そうした感情を顔に出さないようにするためにはまずは「修身」が大事であるが、この身を修めるということは自分一人ではなかなかできることではない。