2021年1月
UNN20210102戦争の顛末
Why did Japan attack the United States 2020/05/09の単語解説
第一次世界大戦までは局地戦で総力戦ではなかった。そのため資源の対しての関心は高くなかった。
第一次世界大戦からは総力戦となり、中立国はなくなった。日本は資源がなので、それを求めて植民地を拡大しようとした。
日本は日清戦争日露戦争以来負けを知らず強気な政策を維持していた。中国政策においてもその姿勢は崩していなかった。
日本政府は中国での戦況を拡大したくなかったのだが、軍部が拡大してしまい挙句の果ては食料を現地調達としてしまい、現地の中国人を殺害してしまうことになった。
第二次大戦直前にはイギリスは援蒋ルートを再開し、アメリカは鉄くず、鉄、石油の輸出を禁止した。いよいよ日本は追い詰められていった。
1941年の1月にはアメリカは銅や真鍮も禁輸した。オランダ領東インドにおける石油の確保にも失敗した。アメリカとの関係も最悪となった。
欧州での戦争が悪化し、極東の船の総トン数は450万トンから320万トンに減少した。1940年春にドイツがデンマークとノルウェイに侵攻したからだった。
首相は陸軍大臣と海軍大臣を任命できない。こうした大臣が辞任したら内閣は総辞職になった。ということは軍の拒否権に内閣は振り回されているということだった。
帝国陸軍は欧米の軍事力を過小評価し、帝国海軍は連合艦隊を過信し、海軍と陸軍はお互いに犬猿の関係で、協力関係はまったくない。
1930-35年の間に20の国内のテロ事件があった。満州と中国北部の陰謀はこ地域を不安定にし、日本を国際社会から孤立させていった。
世界新秩序の原理
世界新秩序の原理2
UNN202101006 Brexit
イギリスはEUと最終合意をしたのだが、要するにFTAを結んだということだ。No tariff No quotaで協定を結んだということだ。ジョンソンが求めていたのはこういう
12月24日にボリス・ジョンソンと欧州委員会委員長のウルズラ・フォン・デア・ライエンはBrexit後の協定を発表した。12月31日の移行期限ギリギリだった。それはジョン
土壇場まで、交渉が成功する保証はなかった。ブラッセルにおける議論はこの週においてダラダラ続いた。3つの課題が俎上に上った。アンフェアな競争を避けるための
この議論は協定を結ぶのではなく、別れる話なので、通常ではない。詳細は明らかになっていないが、概ねはわかっている。公平の場については独立の裁定者が法規上の
直近のBrexit課題は2000頁もある協定の批准だ。年末までには読みきれない。しかし、EUは内容を詳細に関わってきたから反対はないだろう。イギリスの与党は次の週に議会で承
Brexitの大きな懸念は協定が除外している内容だ。貿易条項はほとんどが商品に関したもので、サービスはほとんど対象になっていないが、イギリス経済の80%を占めていて
Brexit後はEUへの自由な移動が制限され、EUからもイギリスへの入国も同様だ。旅行とか仕事をする上での制約が出てくる。医療の協定、車の保険も継続できない。北アイルランドは
こうしたBrexitの貿易協定によって経済に影響がでる。予算責任庁の予想では長い目で見るとGDPの4%が減少する。EUを抜けても、アメリカ、インド、中国のような諸国との新たな
UNN20210113biden
今回の選挙はイカサマだった挙げ句、ソーシャルメディアはトランプと右派のサイトを閉鎖した。とんでもないことだ。自由主義の国とは思えない。
選挙戦の初めの頃、バイデンは中国は心配だという考えを否定した。世界の指導者で中国に挑戦している国はないと主張した。中国が我々を侵害することはないと言った。
オバマのときに、バイデンは貿易協定をしようとして、アメリカと太平洋諸国の12カ国に対して努力をし、中国を巻き込もうとして、西側諸国の貿易基準の適用を試みた。トラ
UNN20210116 第二次世界大戦
戦前、日本の首相は海軍大臣も陸軍大臣も任命できなかった。彼らが辞めると総辞職だった。文民内閣は軍部に頭が上がらなかった。
陸軍は米英の軍事力を無視していた。海軍は米英の軍事力を資源の差としか見ていなかった。陸海軍はお互いに相容れなかった。
戦前、日本の首相は海軍大臣も陸軍大臣も任命できなかった。彼らが辞めると総辞職だった。文民内閣は軍部に頭が上がらなかった。
統制派が陸軍での実権を握っていて、近衛、山本、東条の生命を握っていた。それが終戦まで続いた。
陸軍の問題の解決方法は戦況の拡大だった。1941年12月7-8日における対応がいい例で、中国への西側の援助を止めさせ、東インド諸島への石油生産への進出だった
海軍の艦隊派はオランダやイギリスばかりでなくアメリカも巻き込もうとしていた。その狙いは陸軍との軍事費の奪い合いがその根底にあった。
政府は開戦には乗り気ではなかったのだが、今まで国民を好戦的に煽ってきたのでそれを鎮める手立てがなかった。報道機関もそれに同調していった。
1941年8月に内閣は戦争の勝敗の可能性についての報告を受けたのだが、それは勝てないという内容のものだった。しかし、東条は青ざめたが、未確定要素があり、目
UNN20210127タリバン
カタールの首都ドーハで今まで決して写真撮影を許さなかったタリバンがアメリカの代表団との平和取引に合意した。アメリカは軍隊を撤退する。その代わり、タリバ
アメリカはどんな事があっても撤退するということをタリバンに示している。そうしたことはドーハでの交渉を不利にし、アフガン軍の崩壊のリスクを高めてしまう。
UNN20210123 第二次世界大戦
1941年の閣議では米日戦争は日本が負けると言う発表があり、東条はそんなことはないと言ったが、内心真っ青だった。近衛は戦争はしないのではないかという憶測も
戦争に負けるというを予め確信していたならば戦争はしなかっただろうと陸軍参謀本部の作戦将校は言った。軍事力の差は歴然だった。
第二次大戦において今まで金と努力と時間をつぎ込んできたので、今さら諦めるわけにも行かなかった。
葉隠では損得計算は恥だと言っていて、どちらにしようかという場面では、早く死ぬ方を選ぶしかない。何も考えず、腹を据えて進み出るのだ。
永野海軍大臣は戦争は避けるべきだと天皇陛下に申し出た。また、ドイツとイタリアとの枢軸国同盟は行なわはないといったが、彼にはそれを止める力がなかった。
日本の参謀本部はアメリカ軍の力を認識していた。だた彼らが準備する期間がかかると考えていて、早期に対応すればなんとかなるかもしれないと考えていた。
1941年9月7日に、東条はアメリカとの和平交渉は日本の衰退を意味するから、勝ち目は5分なので戦争を決断する。