日本の精神と儒学
日本人が江戸時代に培った儒学が日本の精神として定着したのですが、明治になって、そうした精神は廃れてしまい、教育勅語だけになってしまいました。しかも、戦後、GHQによってそれも廃止され、こうした日本の精神はなくなってしまい、日本人のアイデンティティは消滅してしまいました。今あらためて、日本人としての矜持と威厳をどう取り戻したら良いのかを講義します。
世界のいろいろな事象とか政治経済外交を勉強しても、自分の立ち位置が分からなければ、彼ら外国人との違いとか距離を把握でません。日本人はアイデンティティを持っているのでしょうか?「日本の精神」をきちんと習得することによって、日本人としてのアイデンティティと立ち位置を外国人に対して明確にすることができます。日本の精神とその歴史を勉強しなければなりません。日本は江戸時代まで、日本人のリーダーとしてのあるべき姿を儒学に求めてきました。それが明治時代になって産業立国を標榜することによって、教育の目的を技術中心に大きく変更してきました。本来であれば、リーダーとしての勉学は知識の習得ではなく、本質的なものとして学習するべきであるはずなのですが、そうした学習は明治になってほとんどなくなってしまいました。
戦前までは教育勅語として僅かに、修身の必要性が語られてきましたが、四書五経を勉学するには至りませんでした。戦後、この教育勅語も廃止され、本質的な学習は全く影を潜めてしまいました。ですので、日本は技術立国として依然としてそのレベルは世界の筆頭でありますが、日本が培ってきた日本人としての矜持は失われてしまいました。日本人としてのリーダーのあるべき姿がそこにありました。今改めてそうした日本人が本来持っていた精神を学ぶ必要があります。
他人や他国を理解すると同時に自分のことも理解します。日本の文化と歴史は奥が深いので、日本人の考え方が外国人とどう違うのかに焦点を当てて勉強します。江戸時代に徳川家康が儒学を日本人の精神として導入し、明治になって、教育勅語となった儒学をベースとした日本人の精神を学ぶ事によって、日本人の崇高さと威厳を海外の人達に示すことができます。安岡正篤、西田幾多郎、金子堅太郎、内村鑑三、中江藤樹、柴五郎の業績を説明して、日本人の崇高さと威厳さを理解させます。
日本の精神と儒学(英語と日本語)から抜粋して講義します。
場合によってはもっと数多くの立派な日本人の過去の歴史を説明します。
また外国人との話においてセンシティブな課題の勉強を行うことも必要のなってくる場合があります。とくに、大東亜戦争における南京事件とか731部隊などです。また、朝鮮における慰安婦の問題も知っておいたほうがいい場合があります。こうした研修も別途考えておいたほうが良いと思います。日本語の資料では右翼と左翼の資料が多く、何が中立なのか判断できません。
日本の精神の研修資料
江戸時代の教育は藩校を中心に、日本的儒学を中心とした人格育成を行っていました。しかしながら、明治になっても、江戸時代にその教育を受けた人がたくさんいたので、しばらくは立派な人がたくさんいました。明治になって、技術立国を目指して、こうしたリーダー教育をやめてしまいました。さらに、戦争に負けて、GHQは日本人から威厳と矜持と自信を持てないような教育を行いました。だから、戦後70年経っても、日本人のほとんどがそうした毅然としたものを持っていません。さらに、GHQは1850年以降の歴史教育を禁止してしまったので、その偉大な日本の歴史を知りません。日本人として何が立派で、何が恥ずべきで、何を反省したらいいのかを知りません。こうしたことは欧米諸国の紳士と比較すると実に貧相なことになっています。人間としての生き様をどう考えるのかといった修身が置き去りになり、精神的な価値観が捨て去らさられてしまいました。